Mr.D’s Diary -ADHDで捻くれた俺が如何に社会復帰するかの悪戦苦闘記

ADHD当事者が如何に社会復帰してくかのブログ。

僕らに迷惑にならずに死んでもいい場所を下さい。


他人に迷惑をかけるな。

親にしょっちゅう言われた言葉です。

迷惑をかけたらごめんなさいと言いなさい。と、

何度となく教わりましたので僕の中には親からもらった大切な人生訓として僕の胸にあります。

その後の空手、剣道あたりから武道をかじるようになると、葉隠の”武士道とは死ぬことと見つけたり”の一文がいやに目につき、自分の恥や失敗の責任の取り方は死をもって償う覚悟が必要だ。というものが自分の生き方の指標になりました。新撰組のよろしく、自分のルールに外れるくらいなら死んで責任を取るくらいの覚悟で臨まねばならない。という志がとてもキラキラして見えました。


しかしながら、ADHDの性ですね。世の中には数多のミスとシャレにならない大きなミスはごめんなさいでは解決しないのです。その辺を教わってませんでした。


現実は失敗ばかりです。自分で心に決めたルールなぞゴミのように扱われ、プライドを持って物事に取り組んでいくのだ。なんていう美学は返って足かせにしかなりません。自尊心の欠乏もあいまってルール守れないくらいなら死ね。今すぐ腹を切れと自分が囁いてくるわけです。


そしてウチは特定の宗教には支持していませんので自殺はOKです。

(なので人に迷惑をかけたくない。)(自分の決めた事を守れないならば潔く死ね。)


というのが度重なるプライドを叩き折られる度に思っているわけです。


これはいくらなんでも社会的に適応出来ないので自殺したいと何人か相談したところ、死にたきゃ勝手にしねやら、なんで生きているの?と返され、社会からもほぼ必要とされていないしそろそろ自殺でもしようかと考えてはいるのですが、(むしろ親の経済的負担も考えれば今すぐにでもした方がいいのかも)したいと思ってもなかなか出来ないのが実情です。


せめて人に迷惑のかからない形で自殺したいと思うのですが、


とかく日本は迷惑をかけずには死ねない文化ですね。

主な自殺方法として首吊り塩素ガス飛び降り練炭 殺人による死刑 どれも迷惑がかかりすぎてしょしょうがないのです


社会的には自殺率の向上は治安の悪化のような印象を受けますが、アメリカの中絶によって犯罪率は激減したように、自殺の主な層は社会的弱者に非常に多いので経済対策、社会福祉の一環としても有効なので国のためにもなるのではないでしょうか。


例えば土地単価の非常に安い土地の一本道の終わりに、私設でもいいからそこに火葬場をと安楽死施設を作るべきでしょう。


しかしこれをやると相反する面白いロジックが起きるのではないかと思っています。

もちろん反対派が毎日そうするとその周りに押し掛け、それを阻止したいという団体が大挙として押し寄せるでしょう。そこに無料でブースを設ける。そうするとそこに向かう途中でありとあらゆる団体がそれを阻止する。つまり死にたい奴に嫌でも支援の手が注がれるのです。そしてそうしてどの支援にもコミュニティにも属せない奴だけが最後の手段を持って死ねばいい。


俺は今の下手な支援施設よりよっぽどマシになると思うのですが。


また事例として、死刑制度がある為に死刑廃止を訴える方々はその罪人が死刑にならないようにあの手この手で支援を差し伸べている人がいます。その一方で、明確な悪の見えない貧困や自殺に対しては積極的なアプローチがされないでいるようにかんじます。


死刑制度撤改革の為に死刑囚を助けるのも結構です。しかしながらほかの犯罪を犯す前の段階で止める手段も必要なんではなかろうか。その為に最悪へのルートを一点にまとめる事が実は必要なのではないでしょうか。


自殺に関しても同じで、死ぬための手段が殺人しかないから人を殺す。それより安楽死施設作りましょうよ。そして死にたい奴を人知れず殺す世の中やめて、面と向かって助けられるようなシステム作りが俺は必要だと考えます。安楽施設のような間違っていて明らかにおかしいようなもので、それを正すためのみんなの正義の心を喚び醒まさなきゃならない。炎上のメカニズムと似ている節がありますね。


自分が自殺したい話してるはずなのに人救う話してるあたり救えないなぁ。