Mr.D’s Diary -ADHDで捻くれた俺が如何に社会復帰するかの悪戦苦闘記

ADHD当事者が如何に社会復帰してくかのブログ。

擬態の剥がれた作曲家は今日も透明な夢を見る

趣味で音楽を作っていたりすると結構モノホンの音楽家と話す機会が数多く巡ってくるのが面白い。

それだけ、曲を形に出来る。というのは1つの能力だし、レベルは置いておいてクリエイターの片隅として認知されるんだな。という事にすこし面白さを抱いている。

ただそうなればなるほど曲の趣向だったり、造形の深さ見ている世界観の違いなど、
食い違いが起きる事もままあるのが辛いところだ。

要するにプロの意識の高さに凹んでいる。逆ノブレスオブリージュ然り、天は自ら助くる者を助く。そういう意味で商品として音楽を作るって事は実力社会だし、歯車だし、それこそリソースを音楽に人生をかけねばならない側面がかなりあるのだろうなと感じた。

つまり合う合わないがかなりある。という事だ。

その中で自分はどう音楽と向き合うべきなのか。それを解いてみると非常に面白いように感じたので書いて見たい。

まず僕の音楽との出会いは盾だった。発達障害でコミュニケーションがうまくいかなかった僕の小学校からのクラスとの関係は、かなり歪んだものだった。そこでそこそこ歌が上手かった僕はエンターテイメントコンテンツとして自分を売り出して、クラスの中で浮いているなりに溶け込もうと努めた。つまり僕にとって音楽は乳化剤であり、交わらない環境に自分を擬態させる手段だったのだ。あれ歌ってくれよ。と言われれば歌ったし、いじられ役でも買って出てこなした。笑いのセンスはなかったし、人と関係する為の能力はなかったが、自分には歌があった。だが、それはあくまで受動的なものだし、僕は本当に熱意を持ってそれに取り組んでいたか?と言われればそれは否だったのだろう。
だから様々手を変え品を変え少しずつ擬態していったのだと思う。
ただそのメッキは往々にして能力を磨くではなくあくまでふつうの人間が楽しみ半分でやっている事で、熱中して心血を注ぐ事ではない。あくまで当たり前の事だ。

当たり前に全神経を使い、期間を投げうち、当たり前に振る舞う能力を身につけた所で、それは非常に限定的な当たり前だったし、擬態は環境の変化ですぐに剥がれた。

そうするとそれはただの浮いた存在に他ならない。巧みに擬態しようとしてかえって浮いてしまうという非常に滑稽な存在になってしまつた。

そうなるともう今までの努力は無駄どころかかえって害にしかならない。音楽はかえって僕の軋轢を深める結果になってしまったのかもしれない。

そこで今更音楽という隠れ蓑で自分を覆った所で底の浅さが露呈するばかりで溶け込むどころかかえって浮くばかりだ。そして、その発想自体がより良い音楽を作りたい、楽しみたい。という心持ちではない。つまり擬態は必ずしも音楽でなくてもいいし、むしろ僕はそろそろ他の生存戦略に切り替えるべきなのかもしれない。

ただなんとなく僕が積み上げた研鑽と能力は今後生きてくる筈だ。それが希望だし、それがなければ人間は生きられない。

日々僕らはサバイバルの中に生きていて、それにはおそらくゴールがある。そのゴールはきっと自分でも分からないことが多いのだろう。そのゴールのヒントは自分が今まで歩いてきた軌跡の中に埋まっているのかもしれない。そしてその足跡は希望と自信によって築かれたものだ。

おそらく僕のゴールは透明になる事、馴染みきることなんだろう。社会が僕に誰も危害を加えない、他人と僕との諍いがなくなる日が来るまで、もう少しこんな事を書き連ねさせてくださいな。