Mr.D’s Diary -ADHDで捻くれた俺が如何に社会復帰するかの悪戦苦闘記

ADHD当事者が如何に社会復帰してくかのブログ。

絶滅した種から見た絶滅しない人間の生き方


ふと思ったのだけれども人間て社会生活の中でサバイバルしていると考えることができるだからと絶滅危惧種が絶滅した理由と言うのはきっと僕たちにも役に立つもんだと思う
野球は詳しくないが野村勝彦の名言にこんなものがある

「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けなし。

つまり勝者は参考にならないが敗者にはそれ相応の理由が必ずあるということである。

ならば聖人たちつまり過去絶滅した動物たちはなぜ絶滅したのかその理由を解明すれば僕らが生き抜く術もきっと見つかるのではないかそう考えたわけだ。

https://www.konicaminolta.jp/kids/animals/about/02.html

コニカミノルタから子供向けのこのような内容のホームページを見つけた。真偽はいかほどか分からんが、可愛いしわかりやすいので採用した。

17世紀以降に絶滅した動物の4/3が人間による環境変化や資料によって絶滅させられているそうだ。

しかもそのペースは人間の登場以前のスピードより圧倒的に早い。

また当然ながら、過去400年間に人間が人を殺した回数など恐らく天文学的な数に上るだろう。

つまり人間も動物も同じように淘汰を繰り返している訳で、その戦略が似通っていることも仮説としては面白い。

人間が人間に動植物に及ぼす影響は果てしなく大きい。
個人が生存競争の中にありながら敗北しないため、淘汰されていった先人たちからいくつかの教訓を簡単に紹介していこうと思う。

こうすると絶滅する3つの方法。

1.人とって限度のない有用である。
2.人にとって害であること。
3.居場所がなくなる。


感慨絶滅には多種多様な理由があると思ったらな理由があると思ったらそうでは無い。

主にこの上記3つである。例えばニュージーランドに住んでいたジャイアントモアなどはアボリジニ先住民族などによって食肉にされ、絶滅してしまった。またアメリカ開拓時代には、一億羽はいたとされる旅行後も食肉として利用され乱獲によってあっという間に絶滅してしまった。豚牛などの家畜生物は有用ゆえに飼育され、ある程度人間の置かれた中で繁栄しているが、野生のとその辺で手間をかけずにある程度再生可能に取れる生物に関して、人間は驚くほど興味がない。作の中にいる羊の数には目がいっても野原を駆けずり回っているリョコウバトの数には目がいかないわけだ。つまり教訓としてわれわれは何度でも利用可能だと思われるととことんまで消費される。と言う傾向があるのではないだろうか?もし恋人がいたとしたら、デートに行く時、僕らは無限の愛や永遠の愛、なんて言葉は囁かないほうがいいのかもしれない。そうした先に掘り尽くされる歴史があることを遺伝子競争の敗北者は教えてくれている。

さて僕らは無尽蔵に人に対して有用であってはならないと学んだわけだが、かといって人に対して害になりすぎてもいけない。

上野動物園で哀れな姿になっている日本狼がそのことを教えてくれている。

羊や家畜など、人間自身や人間に有益なものに対して害を与えるとそれはそれで淘汰の対象たりえてしまうのだ。また、有害なものに対して共生関係や利害関係などを維持しているとその淘汰の対象となり得ることがある。

甲斐地方の風土病の原因になっていた宮入貝などがまさにその例だろう。宮入貝は直接的に害は与えないものの間接的に風土病の原因となる原虫を媒介するためにその一帯の種は政策によって根絶されてしまった。当然人類にとっては必要悪であると私も思っているが、貴重な教訓を私たちに教えてくれることも変わりはないだろう。

人によって様々ではあると思うが人の大切にしているものを傷つけたり害をなしてはいけない。また害をなす者に加担してはいけない。なんだかおばあちゃんの教訓みたいになってしまったが、ある日突然一方的な根絶を言い渡されないように交友関係や利害関係常に注意しよう。

さてさて、そろそろ人間のご機嫌を伺うことも疲れてきたころではあると思うが、何も僕たちに危害を加えるのは人間ばかりではない。人間の副産物によって気概を被ることもある。

変化だ。

人間が取り巻くこの環境では、僕らには常に変化がつきまとう。この一万年で地球の気候は不都合に様変わりしたようだし1,940年代にはドイツマルクは一兆倍の単位で暴落を始めたし、その頃僕らのばあちゃん達は爆弾であわや吹き飛ばされそうだった。今でも次の仕事は明日の株価任せだし、近未来SF作家のイーロンマスクにでも聞いてくれれば、100年後の未来の世界をあたかも明日の予定のように話して計画くれるだろう。


光の早さに近似していくみたいに僕らはより高度により早く洗練し、そして収斂されるように急かされている。より淘汰の幅はより太く、より競争は苛烈になる。その中、絶え間ない変化の中で僕らは生き抜いていけばいいのか。生き抜けなかった彼らはおしえてくはくれない。声はもう聞く事は出来ないのだ。

ただ声は聞こえる。
生き残った、今生きている僕の二重螺旋が僕に囁いている。その唸りを身体全体から鼓膜を通じて僕に呟く。


「何か食べようぜ。」



 今日はここまで。