Mr.D’s Diary -ADHDで捻くれた俺が如何に社会復帰するかの悪戦苦闘記

ADHD当事者が如何に社会復帰してくかのブログ。

サードプレイス作成に失敗した話。

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趣味の部屋、という中井貴一が主演の演劇があった。中井貴一筆頭にキャラ豊かな男達が趣味を持ち寄って、その部屋で夜な夜な一見健全な(その実かなり怪しい)趣味に興ずる。              ある者はガレキ、ある者はジグソーパズル。ある者は料理。そこで段々と人に言えない趣味が明らかになったり、物語としてはそれが不穏な事件の発覚に発展して行くのだが。


僕がみたのはテレビ放送か何かだったが、その<趣味の部屋>の概念がとても男の秘密基地やゴッホが思い描いていた芸術達のサロンのようでとても心惹かれるものがあった。


  昨今、そんな欲求は<サードプレイス>という概念に論理化されたようで、要するに仕事と家庭以外に安心できる場を持ちたい。というものが社会的な欲求になっているようだ。 


ただの趣味の場としてもQOLは向上する。


ハーバードの幸福についての研究者、ウォールディンガーのTEDトークによれば、


75年間におよぶこの研究が明確に示しているポイントは、良い人間関係が私たちの幸福と健康を高めてくれるということです。これが結論です


とも。良質な人間関係はそれだけで良い影響があるのだ。


昨今の過労死問題や現代の貧困もある程度こういう安心できる場所がある事によって軽減され、また防止できるという利点もある。


現在不安定で状況の覚束ない不安が絶えない社会の心理的逼迫感から言って、現代の貧困の直接的な原因にもなる<無知>や<冷静な判断が出来なくなる>という状況をそういうサードプレイスコミュニティには防ぐ能力があるのだ。


   情報提供や他人には出来ない一歩踏み込んだ対応などで介入出来たり、趣味で余裕が生まれる事で一度立ち止まり冷静に判断出来るようになれば、最善の手が打てるようになる。


また、引きこもりや就労をためらっているような(わたしのような!)若者も、そういった信頼できるコミュニティの維持活動などから社会トレーニングを積む事で社会復帰や、新たなキャリアへのつながりとなる場合も考えられる。


私も他聞に漏れず、そんな欲求の発露をかねてより友人Aと語っていた。部屋にノーマンロックウェルや印象派の絵を飾り、レコードや音響機器に囲まれてトラックを作り、友人達と様々な夢の模索や議論ができたらどんなに面白いか。また安心できる場所でなら私も自己評価以上の何かが出来るのではないだろうか。そんな期待があった。 


そんな時に案外反応は来るもので、安酒を飲んでいる時に転機は訪れた。私の友人のKの一人暮らしの話になった時になんとなくこんな話を切り出してしまった。


  割安の広めの部屋を借りてくれればシェアハウス感覚で俺たちのサードプレイスを作ってくれないか。金はないが時間はある。そしたら君の家事をかなりの部分でサポートしよう。


そう持ちかけた所、なぜか二つ返事でKは了承したのだ。その時ぼくを含め4人で飲んでいたが、Kを除く3人がまさかと目を丸くした。


  Kはぼやぼやしているのか自信があるのかニコニコと笑っていた。そうなると話は非常に早く、車持ちのBが荷運び用の車の手配をしようとなり、Aが学生の時の一人暮らしの遺物のほとんどを無償で譲り、そして物件を探そうと買って出た。三人からすればサードプレイスがKの手によって実現するならば、と強い興味を持っていた。特に俺からすれば社会救済のロールモデルが身近で行える社会実験の絶好の機会だったし、報酬が現物だが間違いなくやりがいのある"労働"だったし、クローズドながら"社会活動"という自己実現への道の一歩だった。


その後深夜の公園でいよいよDの悲願が叶うぞ!などとAとハイファイブしながら意気揚々と計画していた。


KはKでぼやぼやとニコニコしながら、時に良きに計らえと言わんばかりの計画の採択加減でついに二週間もしないうちにKは物件の契約書まで書いてしまった。一人暮らしの計画としてはありえない速さだ。


ただKの生活が立ち行かなくなる事態は避けねばならぬので、収入から無理のない(よく三分の一程度と言われるが)ラインを超えぬよう物件をAが抽出し、通勤時間の始発時間まで計算し家賃の安い地域で計画を練った。あの時は各々希望の光が満ち満ちていた。


まぁお察しの通り、上手くいったのはここまでである。


人の悪口は書きたくないし、その後の経緯は当人のプライバシーの保護から箝口する。


単なる意思の疎通の違いだったり、思想の違いかもしれないのだが、俺はKにそれを確認したり修正したりするべきだったが、それもなんとなく出来ず、あー終わったな。それだけだと論理もなんもなく漠然とした無力感に打ちひしがれていた。


シェアハウスとか人のコミュニティは本当に信用力や信頼関係で決まるなぁと感じた。はなから今回はお互いにそれがなかったので成立しなかったと俺は見ている。しかしながら、サードプレイスは意外と作るのは存外簡単だなと感じた。しかしながら、それに至れない原因もなんとなく見えてきた。