Mr.D’s Diary -ADHDで捻くれた俺が如何に社会復帰するかの悪戦苦闘記

ADHD当事者が如何に社会復帰してくかのブログ。

音楽の雑記でも

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僕は音楽が好きです。単純に好きというよりは、音楽をやっていると大抵誰かが自分を見てくれるのでやっています。僕にとって音楽はコミュニケーションツールであり、自分を守ってくれる存在です。


小学生の時でしょうか。僕は小さい頃からいじめられていたのであまり友達もいませんでした。そんな時に、音楽の時間、あなたは歌が上手いね。と先生から言われたことが発端でした。


基本的に空気の読めない僕はクラスで邪険に扱われることが多かったのですが、何かの節々で歌う事で最低限の地位を得ていました。


Dは歌が上手い。


それがクラスで浮いている僕の一番貢献できる分野でした。


遠足なんかで歌う事や放課後あれ歌ってーと言われる事は今から見ればイジられていたのでしょうが、誰かから嫌われるよりは何倍もマシでした。


それ以来僕は音楽が好きです。このご時世、歌の上手い奴なんてごまんといます。声変わりや喫煙、デスボイスなんやかんやで声も出なくなり、それもあいまって人前で歌う事もほぼなくなりました。


それでも未だに作曲したり、家でDJミキサーを弄ったり、バンドを組んだり、様々な音楽活動を行なっているのは、きっとその時の体験が元で行なっているのでしょう。


歌や音楽は僕を守ってくれました。持ち前のADDやパニックでもそれはきっと心に体験として残っています。


才能が必要で尚且つジニ係数の高い分野なので、それが職になる事はまずないとは思います。ですが、僕は音楽を止める事はないでしょう。些細な歌やちょっとした演奏、作曲は人生のライフワークになるだろうな。そんな風に思っています。


人と人をつなぐツールとしての側面も音楽にはありますよね。


最近の僕の感覚的な傾向として、音楽も文学化してきて、一種の教養になってしまいました。聞いてる量の多さがなんだとか、時代の背景とか意義とかそんなものを追いかけるようになってしまっている気がします。


Chain Smokersの歌詞が現代的で斬新だとか、90年代Emoがどうとか、そんな話を誰かと話しているのも確かに楽しいです。


でもふと、あの頃みたく、ただ誰かの為に歌ってくれと言われた曲を繋がりの為に歌う。そんな日々も少し懐かしく、そして眩しく、

何よりそれから日々を哀しく思ったりしています。


僕はまだ歌えるんだろうか?

歌えばまだ誰かと繋がることが出来るんだろうか?

僕を嫌う人間から音楽はまだ僕を守ってくれるのだろうか?


そんなこと考えんと歌えばいいのにね。



とかく生きるのは難しい。